さちぞうの独り言

「さちぞうの独り言」と題しまして、ちょっとした近況報告をHPを通じてさせていただこくことになりました。お昼休みの休憩等、気分転換にぜひ読んでやってください。

2016.1.5 新春

あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

新年より、長男の檜山泰三に桧山幸三税理士事務所を継承させ、檜山泰三税理士事務所として業務を開始することとなりました。今後とも、今迄と同様のご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

私こと桧山幸三は、下記の場所にて引き続き税理士業務をおこないますので、何卒よろしくお願いいたします。お近くにおいでの節は、どうぞお立ち寄りください。

本年も良い一年でありますように。

≪桧山幸三 移転先≫
三原市宮沖2丁目10-22
(旧 香河高明税理士事務所)
TEL:62-6540

新今こそ非正規労働者を正規労働者にすべき 2015.1.9

経済団体の新年祝賀会で、「法人税減税は賃上げに結びつく」と安倍首相は法人税率の引き下げを手土産に賃上げとのバーターを求めている、と報じている。大企業の賃上げにより個人消費の増大に結びつけデフレ脱却の目論見と考えられる。しかし、公務員を先頭に大企業を中心として人件費の高騰が大きな要因で、生産拠点が東南アジアを中心に国外へ脱出し、国内が空洞化して大きな社会問題になったのはついこの前の出来事である。
今、訴えるべき事は、非正規従業員の正規雇用化である、と考える。非婚割合が高いのは身分の不安定さが一因と考えられる。婚姻率が高まれば自ずと出生率が高まり個人消費の向上にもつながり全てが好循環していくと考える。
また、労働の「一物二価」の矛盾の解消により、社会の安定にも大きく貢献できると思うがどうだろうか。日陰に甘んじてけなげに頑張っている若者たちにこそエールを送る時ではなかろうか。

三原一周膝栗毛に参加して 2014.11.16

三原一周膝栗毛なるものの存在を知り、11月9日の真良郵便局出発,仏通寺経由御調八幡宮を経て本庄佃橋ゴールの第四コースをエントリーしました。翌11月10日は72回目の誕生日でいい思い出にもなるしと、楽しみにしていたが生憎の雨で中止。11月12日に変更になったが他の行事と重なり残念ながら参加断念。次の11月16日八幡町蓮台寺出発御調坂峠越えで深町へ出て、中之町賀羅加波神社ゴールのコースにエントリーしました。
当日、隆景広場に6人の参加者が集まり、バスで八幡美生で下車。蓮台寺で一日の行程の無事を祈願し、参加者それぞれ自己紹介し、門前で記念撮影をし、いよいよスタート。地元の方の丹精込めたお庭や、長く守られてきたお宮にお参りし、山道をひたすら登る事、約一時間。途中、和気の広虫がお化粧直しをしたと伝わるちょっとした水湧き場を過ぎ、竜王山‣八幡神社・深への標識を示す峠に着いた。そこが御調坂峠だった。そこに小さなお堂が建ってありノートが置いてあった。古いページをめくると前に登って来られた人々が思い思いにコメントや名前が記載されてあり、レキカンの先輩方の名もあった。私たちも記念に記して次へ急いだ。
あの秀吉も二度通ったといわれる旧山陽道を心地よく暫く歩くとかなり高さのある滝に出た。水流がもっとあれば随分立派であろうと思いながら、更に歩を進めるとまた滝に出た。ほう祖の滝である。これは水流もかなりありわずかながら滝しぶきが立って、ほてった体に心地良い。その前の広場で昼食。酎ハイのお裾分けでノドを潤し、ほろ酔い気分で午後の部へスタート。
清流に添ってなだらかな下り坂が続く、疲れた足にも心地よい。樹林が開けると、深の最深部へ出た。路傍の畑に取り残された柿の実が真っ赤に成っているのが、秋の深さを感じさせてくれる。深金剛寺にお参りし、大池に出て、県道を避けて、こんな所に道があるのかといった道をかき分けかき分けて中之町の奥に出た。
それから山沿いの旧道を辿ってやっと賀羅加波神社に辿り着いた。神社の奥さんが笑顔で迎えて下さり疲れがふきとんだ。本殿に参り、道中の無事に感謝し、そして境内のイチョウの実を頂き無事帰路につきました。率直な感想として、よくもまあ、あんな古道を見つけ整備されたものよと感心したり、道中、いきさつ、いわれなどを分かり易く説明下さり、その博学ぶりに舌をまいたり、親切にも杖を貸してくださったり、美味しいミカンやアメをお接待下さったり色々とお世話になりました。ありがとうございました。
翌日、足がどうにかなるかなと心配でしたが、意外と大丈夫だったので自信がもてた。

「興安丸を讃える会」のご報告  2014.10.28

「興安丸を讃える会」を10月28日にサンシープラザで開きました。東は福山から、西は広島・呉から23名の参加を頂きました。当然の事ながら、皆さんの興安丸への思いの強さが印象に残りました。
「命からがら興安丸に乗って母国の島影を見たときの気持ちは、今でも忘れられない。本土を踏んだ時が、私の原点だ」「木原の解体工場の所長と父が友達だった関係で、興安丸の備品を持っている。私すべき物でないので、しかるべき所へ寄贈しても良い」との申し出もあり、また、「NHKに興安丸の一生の60分もの映像がある」との情報も頂きました。(早速30日にNHKに出向いて、感動しながらご覧になったと連絡がありました。)「市民の人にもっと知ってもらえれば良いのだが」「興安丸を主人公にしたドラマができれば良いのだが」と、色々な意見が出ました。
名残りを惜しみながら次回の再会を約して、四時すぎに散会しました。
思うのに、戦前戦後、昭和11年建造から45年解体の34年間、約500万人を運んだ 「海の貴婦人」とうたわれた興安丸の果たした役割はとても大きいと思います。数奇な運命をたどってこの三原の地で終焉を迎えたのも何かの縁でしょう。大切にしないと申し訳ないなと思いました。
桧 山 幸 三   TEL 0848‐63‐6405
          FAX 0848‐63‐6498

興安丸を讃える会のご案内 2014.9.29

皆様、今日は!
お元気にお過ごしの事とお喜び申し上げます。長い春休み・夏休みをして申し訳なく思います。
その後、内港に興安丸の錨の案内板が設置されました。私達の活動の成果かなと思います。そして、船銘鈑の行方、興安丸の保存運動の取り組みの様子等の資料を、数人の方より寄せて頂きました。それらの様子を報告させていただきたく思います。そして今後の活動の方向等、話し合いたいと存じます。
ご関心のある方は、是非ご出席下さい。

一、 日時  平成26年10月28日㈫  昼二時~四時
二、 場所  三原駅前サンシープラザ四階五号室
三、 会費  無料


≪問い合せ先≫ 三原市皆実4丁目7-6
桧山 幸三
TEL:63-6405

興安丸の錨 -その3- 2014.4.15

3月20日に、老若男女14人の方にお集まり頂き、話し合いをいたしました。
興安丸に乗って度々下関と釜山を往き来し、過ぎた人生とダブらせて思い出をお話し下さった方、異国の地で両親姉妹と死に別れ、命からがら兄と二人で奇跡的に帰国された方、中国で生を受け、幼い時乳飲み児の妹と母と船酔いに悩まされながら命からがら帰還された方、保存運動に取り組まれ、その時の様子を懐かしく思い出されながらお話し下さった方、また、昭和54年、この三原の地で保存しようという市民運動が興ったとは素晴しい事であり、今またその志を引き継ぐ事は大変意義ある事だと思うとの声、興安丸の船歴及び保存運動の様子を学ぶ事で三原の良さや三原の歴史を再発見したいという若い方の声もありました。その他色々貴重なご意見が沢山出ました。
そのなかで、平成13年の芸予地震で錨の台座が傷み、それもあって平成16年5月に現在地に移設された訳であるが、写真のように移設前は「興安丸」の船銘鈑が大きく設置されており、説明板にも「・・・・・・同船で帰還した多くの戦友同胞の感謝と懐旧の念として錨と船銘鈑を解体の地に保存し、永くその歴程を留めることにした。」と明記されています。しかし移設後はその肝心の船銘鈑が無くなっているが、どうしてか、行方を捜す必要がある、と至極尤もな意見も出ました。
現状のままでは、第五北川丸と間違われても止むを得ないと思います。正しく伝える為にも説明板と現実を一致させる事が肝要だと思います。船銘鈑の消息をご存知の方は、是非桧山(TEL:63‐6405)にご連絡下さい。これからも少しずつこの輪が広がっていけばと思っています。どうぞよろしくご賛同・ご支援をお願いします。

興安丸の錨について -その2-  2014.3.4

先回の記事をご覧になられて、おもしろい、良い事だとご賛同くださった方々、ありがとうございます。二、三の方から励ましのお電話をいただき、またたくさんの方から興味深く読んだとお声掛けをいただいて、意を強くしました。
率直に云えば、佐木島沖で遭難した第五北川丸と錯覚されている方が意外に多いのに驚きました。改めて正しく伝えることの大切さとむずかしさを痛感しました。
その後、インターネット等で資料を見ると、「昭和45年11月、広島県三原市で解体されて34年の生涯を終えた。(通常、船の寿命は15年位だそうです)当時きわめて強い保存運動があったが実現せず、錨の一つは三原市の内港東公園に、保存されている」とあります。
また、錨の説明板を見ると、三原浮城ライオンズクラブが創立40周年記念事業としてちょうど10年前の2004年3月20日の日付で「引き揚げに従事した船長・玉有 勇 氏の願いと、同船で帰還した多くの戦友同胞の感謝と懐旧の念として、錨と船銘鈑を解体の地に保存し、永くその歴程を留めることにした。」と標されています。
当時の取り組みの様子をご存じの方、この船に思い出のおありの方、是非お話をお聞かせ下さい。
参考図書を読む程にこの船がけなげでいとおしくなってきます。
せっかく先人達が努力して残してくれた大切なかけがえのない遺産です。できる事をやっていきたいと思います。
まず、興安丸について語り合いましょう。
ご賛同いただける方は、
3月20日午後4時~5時に、サンシープラザ4階 第3会議室
ご参集ください。お待ちしております。
≪問合せ先≫・・・・・桧山 幸三  三原市皆実4丁目7‐6
                 TEL:(0848)63‐6405

2014.1.23 改めましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 年が明けて早いもので、もう1月も20日を過ぎました。まったく、“1月いぬる・2月逃げる・3月去る”の通りで、速いものだなと思います。
「さちぞうの独り言」を楽しみにしているとの暖かい添え書きの年賀状を頂きました。楽しみにして頂いている方がいらっしゃるとは驚きました。気まぐれに載せ、何ヶ月も何年もブランクでは申し訳ない、これからはもっとしっかり書かなければいけないなと反省しています。今後もどうぞよろしくお願いします。

 手始めにこんな事を考えました。ご一読の上、ご意見くださればありがたく思います。↓↓↓

皆さんは、興安丸の錨が三原に保存されているのをご存じでしょうか?これをご存じの方は、かなり年配の方か、三原をよくご承知の方だろうと拝察します。
昭和11年10月に三菱長崎造船所で造られ、戦前戦後 主に日本と中国大陸との往来に大活躍した大型客船であります。殊に終戦直後より中国大陸、朝鮮半島、シベリアから日本、主に舞鶴港への引き揚げ船として大活躍し、幾多の思い出とドラマを残した船です。
舞鶴港でわが息子の帰還を待ちわびて年老いていった母の様子がうたわれた、二葉百合子が、そして坂本冬美にうたい継がれる「岸壁の母」のモデルとなったあの船です。
この船が、幾多の役目を終え紆余曲折を経て、昭和45年11月、三原の木原の船舶解体工場に搬入され、スクラップ化される寸前、存続の運動が興り、船体を保存するには維持費がかかり過ぎるが、錨なら保管費用もあまりかからないだろうとの先人達の智恵で、錨が三原に保管されて現在に至っている訳です。
云ってみれば、船自体と三原とはそんなに深い縁があったわけではありません。ただスクラップにするため木原の解体工場に持ち込まれただけの事です。しかし、先人の方々はその縁を大切にされて、一部でも当地に保管する事が後人達への責務と考えられたのだろう、と想像がつきます。引き継いだ我々がその船の果たした役割を忘れる事なく顕彰していく事が大切ではないかと考えます。
4年前、あるパーティーで年老いた紳士が語るのに、「四つ違いの兄と二人、命からがら興安丸で引き揚げて帰った。本土の山々を見た時の感激は今も忘れられない。それから幾多の苦難を兄弟で乗り越え、自分は広島大学を卒業して、広島の地で健やかに過ごしている。兄も元気に鹿児島で過ごしている。興安丸の錨が三原に残っているのを知ったので、早速兄に知らせると、兄は飛んできて、宿泊したホテルのフロントに聞いたが要領を得ない。がっかりしたと云っていた」、と話をしてくれました。私はそれを聞いてハッとしました。ゆかりの物を保管している地元の人間として、ささやかでもよいから、この船の果たしてくれた役割に感謝し、顕彰することが保管している人間達の勤めではないかと思い至りました。
どうでしょうか。力を合わせ、心を合わせてムリのない所から、興安丸の顕彰を始めませんか。どうぞご賛同頂ける方は、桧山の方へご連絡下さい。お待ちしています。

私、三原市会議員を退めました。2013.4月

皆さんこんにちは!
長い間の御無沙汰でした。

御無沙汰しているうちに、私はこの 4月で三原市議会議員を退きました。
皆様のあたたかいご理解ご支援をありがとうございました。

考えてみると、10年前、少なくない税金を負担しているのになんで良い国・良いまちにならないのだろうと不思議に思いました。
それから自分が経験したこと(PTA活動・JC活動・経済同友会・ライオンズ活動等)を三原市政に活かしてみたいと考えたことが、政治にかかわるそもそもの発端でした。
平成15年4月、皆様のおかげで晴れて議員に当選させて頂きました。
平成17年3月には、三原市と本郷・久井・大和町の1市3町の合併が行われました。合併特例債を活用しての新しいまちづくりが重要な テーマとなりました。
わけても、新庁舎建設問題は市を大きく二分しての課題となり、私は新築と既存庁舎の補強充実の両面から慎重に審議すべきと考えました。この問題は今なお重要案件となっています。
振り返ってみますと、取り組んだ主要テーマは次のように思います。

《その1 三原市の将来10年に亘る長期財政問題は大丈夫か》
平成27年度までは財源不足は生じないが、平成28年度以降平成 32年度までの5年間で、合計40億円の財源不足が見込まれると予測されており、人件費の削減等、より一層の行財政改革の必要性を訴えて参りました。

《その2 三原の教育は大丈夫か》
地域の盛衰は、そこに住む人の程度によるのは論を俟たない所であります。
「孟母三遷」の昔より地域の盛衰はその地域の教育力に依る所が大である。「受けてみたい 三原の教育を」が名実共に実りあるよう切実に望んできました。金のルール(早寝・早起き・朝ごはん・読書・あいさつ・靴そろえ)の定着に加え、自己の存在意義・社会的役割等、人間としてのあり方も明示する教育理念を樹てるべきではないかと訴えてきました。

《その3 地域生活交通をもっと生かすべき》
合併して市民がもっと行き来が活発になって一体感が醸成されるには、地域のバス交通の活用に如くはないと考え、市・バス会社・大型病院・大型店・学校関係者等が一同に会して市全体の交通体系を見直すべきだと、地域交通特別委員会の審議を関心をもって見守ってきました。が、今は幸崎町等、一地域の見直しに留まっているように思います。

《その4 地域振興策として》
① 今備わっている資源を活かすべきと考えて、瀬戸内海、沼田川を
活かして魚の豊漁策をもっと力を入れるべきと訴えました。
加えて、「瀬戸内 海の道一兆円構想」で飛行機・汽車・自動車・船
の乗換え基地の役目を果たせるのは三原をおいて他にないその
利点を生かすべきだと訴えました。
② 新たな企業誘致も良いが、既存の地場の企業の存続・繁栄に意を
注ぐ事がもっと大事であると考え、地域振興券の活用等を訴えて
参りました。


その他時々の事象を取り上げ、市民の皆様の要望を聞き、三原にとって良かれかしと、「抜苦与楽」の思いでこの10年突っ走ってきたように思います。

「新しい酒は新しい革袋に」 と古人は云っています。新しく変わった28人の議員と天満市長で三原市政が進められてゆく訳です。大いに期待したいと思います。
私も、これからも何かの形でお役に立たせて頂こうと思っている昨今です。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

今「日本中枢の崩壊(経産省現役官僚 古賀茂明著)」が読まれている    2011.8.10

皆さま今日は。残暑お見舞い申し上げます。

まえがきから要点を抜き書きすると、国家公務員制度の本質的な問題は、官僚が国民のために働くシステムになっていないという点に尽きると述べ、更に日本国の「中枢」が改革する心を失い、危機を感じ取る感性さえない。たとえば原子力安全保安院は、経産省の傘下にある。そして原子力行政を進める側の資源エネルギー庁も同じ。つまり監視する側と進める側が、実は同じ屋根の下に同居しているのだ。そして代々続く癒着構造。しかもここにきて、原子力安全保安院は、原子力の専門家集団でもなんでもないことが明らかになってきた、と続く。更に、
●「日本中枢」で国を支えているはずの官僚は、実はかくも信頼できないものでありながら、しかし自己保身と利権維持のための強固な連携力だけは備えている。
●責任も取れない秀才は何事も責任者を不明確にしておく。
●ビジネスに関する目利き能力という点では、日本政府ははっきりいって幼稚園以下である。
●役人にとって仕事は予算を取って使うこと、そこでピリオドだ。その結果には関心がない。役人の世界では成果は問われない。
●役人の政策が浅はかになるのは、現場をほとんど知らないからだ。実体経済に詳しいわけでもない。
●官僚の特技の一つに「過ちを認めない」というのがある。
●日本経済がどんどん衰退しているのは、国を動かす仕組みが悪いからだ。政治家と官僚が知恵を出していないので、国民のがんばりが空回りしている。

ここまで読んできて、これは日本の事であるが、三原の場合はどうであろうかと考え込んでしまった。
今、三原市は駅前に市役所庁舎を中心とした複合施設が検討され市民への説明に大童である。
「中心市街地が活性化される」「次世代に負担を少なくする為に」「コンパクトシティの建設を」とバラ色の話だが、その実現・成功の為には血のにじむ苦労と知恵があっての上である。
ニチイ・天満屋の撤退、三原都市開発公社の閉鎖―いわゆるペアシティ開発の失敗は結局三原市民の血税であがなった訳である。この責任を誰がどのように取ったのか、この度もし失敗したら誰が責任を取るのか、その覚悟があるのだろうか?

寝苦しい夏の宵、うつらうつら考え込んでしまいました。皆様はどうお考えでしょうか。

この師走に思うこと     2010.12.14

報道によると、国も地方も来年度の予算編成作業に大童のようである。国について言えば、選挙目当てのマニュフェストを断行しようとのことだから、国家財政も大変である。
一例が、少子化対策の目玉として「子供手当」を継続するようである。子供手当を当てにして子供を作って子供手当支給を中止するとどんなことになるか、空恐ろしくなる。少子化解決策は、親孝行の美風を取り戻すことだ。そのために、法律、わけても、民法の家族法を改正することである。加えて、大人の我々の毎日の生活を落ち着かすことだ。そして、幼保一元化を大至急図るべきである。幼稚園はガラガラで保育所は入所待ちで、大人は既得権益のぶつかり合いでは日本の将来はない。関係役人は、子供中心の行政をすべきである。幼児教育に携わっている人も、世の流れを直視して幼保一元化を図り、待機児童の解消を図り、設備の活用を図るべきである。
国の財政は、37兆円の税収入で92兆円の歳出をまかない、足らずは国債という借金をする。国民1人当たり約700万円の借金残高である。あの夕張市以上の財政状態である。国民は、目先のことよりも、このことに心配している。為政者はどう解決するつもりか、国民に分かりやすく示して欲しい。そうすれば、国民も我慢して待つだろう。
目を足もとの三原に点ずると、今三原市では駅前の広場に市役所庁舎を建てたいとの市長の提案が11月29日にされた。降って湧いた提案に、三原はこの話題でもちきりである。
耐用年数があと5年とはいえ、現在築後45年。まだ使える現庁舎を壊し、大金(約33億円)をはたいて、新しく建てるのが「市民ニーズ」に応える市政運営と云えるだろうか?
私は、今日(12月8日)、三原市の定例議会の一般質問で、まだ使える現庁舎は補強して使い、限られた財源は我々の生活が少しでも楽になるよう、また、地場の中小企業の皆さんの商売がやり易くなるような使い方をすべきであると、質問いたします。お聞きください。

三条市と上田市に視察に行ってきました! 2010.10.6

今回は、三条市と上田市の視察報告をさせて貰います。
記録的大雨の七月十四日から十六日、新潟県三条市と長野県上田市を視察した。

一.三条市では新市建設計画の見直し方法や見直し状況を視察した。
三条市では、新市建設計画登載事業(全46事業、約636億円)を検討するため、「新市建設計画登載事業検討委員会(三地域より各三人と学識経験者二人の計十一人で構成)」を設置し、平成十九年六月七日より十一月二十九日、約6ヶ月の間、5回の会合を重ねて次のように答申をした。
地域共通事業として(ゴミ処理施設)(し尿処理施設)(斎場建設事業)の3事業、当初予算約195億円を再検討し、約30億円圧縮し、165億円に、また、ある地域では約48億円の計画額を取り止めや計画縮小等で、約39億円減額し(約81.7%減)約9億円に圧縮している。全体では636億円を21.3%の136億円圧縮し、見直し後の事業費を約500億円としている。
この答申に対して三地区の地域審議会を始め、地元選出の議員の反撥も想像されるが、全員協議会等で充分説明し理解を得たとの事であった。また、合併後まだ二年という早い時期に時代の変化を敏感に察知し、素早い対応に敬服した。
三条市は新潟県のほぼ中央に位置し、平成十七年五月一日に三条市、栄町、下田町の一市二町が合併し、約432平方キロメートル、人口約十万五千人、平成二十二年の一般会計予算額497億円規模で、刃物・金属洋食器製造が盛んな三原市と似かよったまちである。

二.上田市では公民館活動わけても城南公民館の活動について視察した
上田市には公民館がおおむね中学校区毎に9館あり自治会単位で246の分館があり、そこには教師OBが配置され、活動が盛んに行われている。そのうち城南公民館の活動状況は、
(一)【高校と小学生との連携を強化する事業として】
市の商工観光部から「少年期からものづくりに親しみ、ものづくりの楽しさを学んでもらい、将来的に地場産業の発展に寄与できる技術者に育ってもらいたい。そんな機会を公民館でできないか」との提案を受けて上田千曲高校と連携し、地元の子ども達に、オリジナルロボットカーの製作で物づくりの楽しさを味わって貰う事業を企画し、今年は21人の参加を得た。
(二)【中学生と連携を図る事業として】
中学生の自主性を育て、地域の行事に積極的に参加して貰う機会をつくること、地域との交流を図り、地域に愛着をもってもらうために、4年前より地区運動会に「中学生企画種目」を取り入れ、種目の決定から選手選出まで生徒の自主性を尊重し、今年は「障害物競走」に19分館中18分館より各6選手、合計108人が参加し、地域の人々や生徒もおおむね好評であった。
(三)【中学生の独居老人へのボランティア事業】
青少年育成、青少年のボランティア精神の涵養を目的に近隣中学生と地区の民生児童委員等の協力で「アクリルたわし」の作成と独居老人へのプレゼントを行った。老人からは「うれしい、中学生と話をするのは楽しい」中学生からは「お年寄りが喜んでくれればうれしい」と事業に参加した人たちに喜ばれた。
青少年の健全育成を目的に、地区内の小中学生を対象に公民館が企画して各種取り組みを行っている。各事業の成功の秘訣の一つは分館に先生OBを配置し、子どもとの人間関係を生かしている所にもあると思った。
上田市は平成十八年三月六日に上田市、丸子町、真田町、武石村が新設合併し、戦国武将真田一族発祥の地として、歴史的建造物を生かして、フィルム・コミッションを積極的に誘致し、平成二六年のNHK大河ドラマの主人公に「真田幸村」をと、全市一丸となっているホスピタリティあふれる、人口約一六万五千人、面積約552平方キロメートル、平成二一年度一般会計予算、約641億円の長野県東部の中核都市である。

日本の現状と行く末を考える     2010.8.10

もうすぐお盆を迎える。つまり65年目の終戦の日でもある。
日本は、古来「和をもって貴しとなす」和を貴ぶ民族である。然るになぜ、このような戦の道を歩んでいったのか。
考えてみるに、黒船来航により列強諸国の弱肉強食の世界に投げ出されたが、奇跡的舵取りにより、独立国家として存続し続ける事ができた。日清・日露の戦役は、まだ戊辰戦争(維新戦争)の生き残った人々の活躍のおかげで、それなりの戦果を得ることができた。
その後、兵学制が整えられるにつれて、ジェネラリストから戦いに勝つためだけのスペシャリストの養成に重点が置かれるようになった。これは一般素養を基にしての判断・決断が軽んじられる事につながり、大局的見地に立った戦略が得られない欠点を内蔵した。その結果が太平洋戦争の敗戦につながったと考える。
戦火の焼け野原から、先人達はよく立ち直ったものだと思う。考えてみるに、戦地から復員してきた先輩たちは、生きんが為に、また、家族の生活のために、職を求めて、かつて躾けられた「滅私奉公」の精神を掻き立てて、仕事に精励した。そのお陰で「政治は二流・三流でも、官僚・経済は一流だから、日本は大丈夫」と経済大国にいち早く復帰した。国民もその言葉に安住していた。
しかし、これは戦時時代の「お国の為に」の教育を受けた人達の努力のお陰である。今、そういった人達が世を去り、影響が少なくなるにつれて、日本の迷走状態が始まったと考える。
今こそ「戦さ」を意識しない新しい国づくりの「理念・哲学」が求められる。その実践こそが、国際間に尊敬と評価が得られると考える。
それは、道理・倫理に沿った企業経営・国家経営の探求こそが日本を救う道だと確信する。

議会報告     2010.6.11

税理士事務所の経営をしながら、7年前から、三原市議会議員との二足のワラジを履いています。ちょうど60才の節目を迎えた頃、三原の衰退が気になりだしました。
29才から税理士事務所を開業し、関与先企業の発展に少しでもお役にたてればと思い、それがすなわち三原の発展にも結びつくと考え、私なりに一生懸命頑張ってきました。しかしフッと気がつくと、シャッター通りが目立ち始め、今まで納めてきて、また納めて貰ってきた税金がまちの地力をつける為に果たしてより有効に生かして使われてきていたのか?疑問が湧いてきました。もっと気がきいた税金の使い方ができるのではないかと思い、思い切って地方政治の世界に飛び込みました。
昨日(6月9日)、6月定例議会で一般質問に立ち、2つの点を質しました。
一つは、「市民協働のまちづくり」についてです。今、三原市では二言目にこの言葉をよく耳にします。
まちづくりは、端的に言えば、税金をどう使うかということであると考えます。市民協働のまちづくりであれば、税金の使い方を決める予算の作成過程を、市民に明らかにすることが第1歩であると質しました。
もう一つは、この3月の議会で、解散し三原市に引き継ぐことを決定した、土地開発公社の所有土地約45億8千万円(帳簿価格)を一刻も早く処分し、財政負担の軽減を図るべきであると質しました。
財産をただ持っているだけではなく、生かして使わなければ、逆に重荷になるだけだとの思いで訊ねました。

これからも皆様の声をお聞かせ頂き、より良い三原づくりに取り組んで参ります。
引き続きの温かいご支援よろしくお願いします。

今、考えること     2010.5.18

知的な愚者は、物事をより大きく、より複雑にする。逆方向に進むには、少しの創造的才能と、とてつもない勇気が必要である。
~アインシュタイン~

昔から、「泥棒にも三分の理」という。傍観者になって理屈を述べあえば、お互いいくらでも言い立てることができるということである。
大切なのは、当事者意識で判断することである。もっと云えば、リスクを取って事にあたることが大切である。そう考えると、今の政治家は、リスクを取っているだろうか。政治家、特に議員は選挙に落ちればタダの人とよく言われる。これは問わず語らず、議員の既得権を表していないだろうか。
今の時代、ただの市民であろうとしても大変な努力がいる時代である。こんな大変な時、ストイック(禁欲的)に生きている人は、中小企業の経営者だと思います。好況期には人材難に、不況期には仕事の確保や資金繰りに神経を使い、気が休まる時がない。まして、不渡りを出せば、タダの人どころか、夜逃げ同然、場合によれば犯罪人扱いになってしまう。政治に携わっている人がそれ程のリスクをかけて国民のため、市民のために勤めているのだろうか。
市民の皆様のご苦労を考えて、それに応える政治をして欲しいし、しなければならないと愚考いたします。

今、考えること     2010.4.8

(一)政治屋は次の選挙を考え
政治家は次の時代を考える。
~アメリカの牧師クラ-ク~

国政では、今、新党の立ち上げが目白押し状態である。今日も新党「立ち上がれ本」が誕生した。考えてみると、夏に行われる参議員選挙を睨んだ右往左往状態にしか見えない。
我々国民が期待するのは、10年,20年先を見据えた力強い国づくりである。その為に今何をするのか?その一点にある。そう考えると財政の健全化が一丁目一番地である。そのためには、何を置いてもすべき事は公務員改革である。国・地方公共団体あっての議員・公務員である。
財政が大変な時に、行財政の運営に従事している公務員の制度の体制を再考せずして消費税の値上げ等安易に国民に負担を強いるのは、本末転倒であると考える。

忙中閑あり     2010.3.10

今、平成21年度の確定申告の作業たけなわです。
個人の平成21年中の全ての所得を計算し、それに基づいて所得税を計算し、併せて個人事業者(主に商売人)には消費税を計算し、それぞれの期限内納付の助言を行う作業です。全国一斉に、この3月15日まで行われています。
これが、私達税理士事務所にとっては、年末の大晦日に匹敵する一大行事です。
その計算過程において、それぞれのこの1年間の生き様が問わず語らずあぶりだされてきます。
奥さんが病を得て、2人3脚で励んできた飲食業を廃めざるをえず、加えて店舗兼居宅を手離さざるをえない。営業損失・譲渡損失・医療費控除の数字が涙で滲んできます。人生の無常を感じるときでもあります。そんな中、庶民は歯を食いしばっても生きていかなければいけない・・・ヤケになるわけにはいかない・・・つくづく善良な市民は健気なものだと感心します。願わくば、庶民の身を削って(消費税導入で殊に思う)納めた税金を為政者は心して、我々、国民の幸せのために生かして使って欲しい。その願いは切であります。

グランドゴルフを始めました!  2010.2.26

近所の方々と語り合ってグランドゴルフを始めました。シングルを目指して、朝・夕にゴルフ三昧の時期もありましたが、関節を痛めて中途退学していました。
今回、町内の方達約20名位で始めました。やってみると、これが意外に思うようにできず、距離が短かったり、長すぎたりしてみんなで一喜一憂して楽しんでいます。寒稽古ならぬ寒中練習です。近いうち、その成果を皆様に報告する日を楽しみに、仕事の合い間をぬって練習に励みます。

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